野口英世の母シカの手紙とは?家族と生家のいまも調査!

千円札の顔だった野口英世さん。細菌学者、というところまではご存じの方が多いですよね!

ただ、ご家族の話となると、急に知らないことばかりになります。とくにお母さんのシカさんについては、記念館の頁に胸を打つ記録が残っていました。

調べてみたら、シカさんが英世さんに宛てて書いた手紙が、いまも展示されています。文字を書く機会がほとんど無かった方の、慣れない文字の手紙でした。

そこで今回は、野口英世さんのご家族と、その手紙のことを、詳しくお伝えしていきます♪

この記事でわかること
・父は郵便配達人の佐代助、母はシカ
・1歳のとき囲炉裏に落ちて左手を大火傷した
・母が書いた手紙をきっかけに15年ぶりに帰国した
・そのあと二度と日本の地を踏んでいない
・妻はアメリカ人のメリー・ダージス

目次

野口英世の家族は?父・佐代助と母・シカ

英世さんが生まれたのは1876年、明治9年の11月9日です。

場所は福島県の耶麻郡三ッ和村、いまの猪苗代町にあたります。お父さんの佐代助さんは郵便配達人で、お母さんがシカさん。英世さんはその長男でした。

生まれたときの名前は清作さんです。英世に改めたのは22歳のときでした。

1歳で左手を大火傷——それが進路を決めた

1878年の4月、1歳のときに囲炉裏に落ちて、左手に大きな火傷を負っています。

この火傷が、その後の進路を決めました。左手の障害で農作業が難しかったため、学問の力で身を立てるように、とお母さんに諭されています

小学校のころは、左手のことで「清ボッコ」と呼ばれていじめられたとも伝わっています。

母シカが書いた手紙——「はやくきてくたされ」

ここが、この記事でいちばん書きたかったところです。

お母さんのシカさんは、幼いころに文字を習いました。ただ、そのあとは文字を書く機会がほとんど無かった方です。

研究に忙しくて帰ってこない息子に向けて、そのシカさんが手紙を書きました。野口英世記念会の頁には、慣れない文字を懸命に書いて想いを伝えた、と書かれています。

はやくきてくたされ はやくきてくたされ いしよのたのみてありまする
——野口英世記念会「母シカの手紙」

早く帰って来てください、一生のお願いです、という意味です。同じ言葉が二度 繰り返されているところに、目が止まりました。

英世さんは、お母さんが文字を書けることを知って驚いたとも伝わっています。

15年ぶりの帰国、そして二度と日本を踏まなかった

この手紙のあと、英世さんは帰国しています。

1915年、大正4年のことでした。15年ぶりの帰国で、お母さんとの再会を果たしています

滞在はおよそ2か月。各地で講演会や歓迎会が開かれました。

そして11月4日、横浜からニューヨークへ戻ります。記念会の頁には、そのあと二度と日本の地を踏むことはできませんでした、と書かれています。

亡くなったのは1928年、昭和3年の5月21日。黄熱病の研究をしている最中に自分も罹り、いまのガーナにあたる土地で51歳で亡くなりました。

野口英世の妻や子供は?

奥さまはメリー・ダージスさんです。

ご結婚は1911年、明治44年の4月10日。英世さんが34歳のときで、お相手は同い年のアメリカ人の方でした。

お子さんについては、当方が引いた出典に記述がありません。ですので、いたともいなかったとも書きません。

生家は今も猪苗代に残っている

生まれた家は、いまも猪苗代町に残っています。

野口英世記念館は、その生家に1939年に開かれました。生家のほうは2019年に国の登録有形文化財になっています。

囲炉裏のある家が、そのまま残っている。手紙の話を知ったあとで見ると、また違って見えそうです。

野口英世の子孫は現在いる?

現在のご子孫については、この記事では書いていません。

ご存命の方については、公的な機関がその方の役職を公にしているとき以外は、こちらで並べないことにしています。

まとめ

野口英世さんのご家族
・父は郵便配達人の佐代助さん、母はシカさん
・1歳のとき囲炉裏に落ちて左手を大火傷した
・母の手紙をきっかけに1915年に15年ぶりの帰国
・そのあと二度と日本の地を踏んでいない
・妻は同い年のアメリカ人メリー・ダージスさん

「はやくきてくたされ」が二度 書かれていたこと。ここが、調べていていちばん残ったところでした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪

出典

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