五千円札の顔として知られる樋口一葉さん。『たけくらべ』の作者、というところまではご存じですよね!
ただ、その24年の生涯がどんなものだったかとなると、知らないことばかりでした。
調べてみたら、一葉さんは若いうちに家を背負っています。そして生活のために雑貨店を開き、そのときの経験が代表作になりました。
そこで今回は、樋口一葉さんのご家族と、24歳で亡くなるまでの道のりを、詳しくお伝えしていきます♪
この記事でわかること
・本名は樋口奈津
・父は東京府の下級役人の則義、母は多喜
・姉と兄2人と妹がいた
・兄と父が亡くなり、一葉が戸主を継いだ
・龍泉寺町の雑貨店の経験が『たけくらべ』になった
樋口一葉の本名は?樋口奈津
ご自身では「夏子」「夏」「なつ」と署名することが多かったそうです。ペンネームの一葉のほうが有名になりましたが、こちらが本当の名前ですね。
生まれたのは明治5年3月25日。西暦でいうと1872年5月2日です。場所は東京府の役所の構内にあった官舎でした。
樋口一葉の家族は?父母と4人のきょうだい
お父さんの則義さんは、東京府の下級役人です。お母さんは多喜さん。一葉さんは、その次女でした。
樋口家
父 樋口則義(東京府の下級役人)
母 多喜
姉 ふじ
兄 泉太郎・虎之介
妹 くに(邦子)
一葉は次女
ごきょうだいは4人です。姉のふじさん、兄が泉太郎さんと虎之介さん。そして一葉さんが生まれた翌々年に、妹のくにさんが生まれています。
兄と父が亡くなり、一葉が戸主を継いだ
どうして一葉さんが家を継いだの?
ここから、家の事情が急に重くなります。
樋口家の戸主だったのは長男の泉太郎さんでした。明治法律学校に入りましたが退学し、そのあと大蔵省の出納局に勤めています。
一葉さんは、お父さんを後見として相続戸主になっています。長女ではなく次女が家を継いだかたちです。
そして、その父の則義さんも亡くなります。ここから一葉さんは、お母さんと妹さんを抱えることになりました。
龍泉寺町の雑貨店——『たけくらべ』の題材になった
小説を書くだけでは、暮らしが立ちませんでした。
1893年、明治26年の7月に、一葉さんは下谷龍泉寺町で雑貨店を開きます。いまの台東区竜泉一丁目のあたりで、吉原遊郭のすぐ近くでした。
売っていたのは荒物と駄菓子です。文学の人が、店番をしていたわけですね。
ただし商売のほうは苦しくなります。翌年の1月には、近所に同じ商売の店ができてしまいました。
「奇跡の14ヶ月」と24歳の死
そのあとの1年半が、いわゆる「奇跡の14ヶ月」です。
『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』が、この短い期間に発表されています。文壇から絶賛されました。
和歌と古典文学は中島歌子さんに、小説は半井桃水さんに学んでいます。
亡くなったのは明治29年、1896年の11月23日。肺結核でした。24歳です。
一葉記念館に「仕入れ帳」が残っている
龍泉寺町の跡地の近くには、いま台東区立の一葉記念館が建っています。
住所は竜泉3丁目18番4号。台東区の公式サイトによると、展示されているのは処女作『闇桜』の原稿、『たけくらべ』の草稿、小説の師だった半井桃水さんに宛てた書簡などです。
そしてもうひとつ、龍泉寺町で商売を営んだときの「仕入れ帳」も展示されています。
樋口一葉の子孫は現在いる?
まとめ
樋口一葉さんについて
・本名は樋口奈津
・父は東京府の下級役人の則義、母は多喜
・姉と兄2人と妹がいた
・兄と父が亡くなり、一葉が戸主を継いだ
・龍泉寺町の雑貨店の経験が『たけくらべ』になった
・24歳で肺結核により亡くなった
記念館に「仕入れ帳」が残っている、というところ。ここが、調べていていちばん残りました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました♪
出典
- 台東区「一葉記念館」https://www.city.taito.lg.jp/kusei/shisetsu/bunkashisetsu/kuritsu/ichiyokinenkan.html(所在地・展示資料=『闇桜』原稿/『たけくらべ』草稿/半井桃水宛書簡/龍泉寺町の「仕入れ帳」)
- Wikipedia「樋口一葉」https://ja.wikipedia.org/wiki/樋口一葉(本名と生没年・父母ときょうだい・兄の死と相続戸主・龍泉寺町の雑貨店・奇跡の14ヶ月・師)

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