千円札の顔だった夏目漱石さん。『坊っちゃん』や『こころ』で、教科書でもおなじみですよね!
作品の話はよく聞きますが、ご家族の話となると、急に知らないことばかりになります。
調べてみたら、お子さんは7人。しかも漱石さんご自身は、子どものころに家庭らしい家庭を持てなかった人でした。
そこで今回は、夏目漱石さんの奥さまとお子さん、そしてご自身の子ども時代のことを、詳しくお伝えしていきます♪
この記事でわかること
・子は二男五女の7人
・妻は鏡子。10歳年下
・漱石自身は里子と養子に出され、実の親を祖父母と教えられて育った
・留学中の手紙に2歳の娘の日記が出てくる
・最期の場面に四女の泣き声が残っている
夏目漱石の子供は何人?二男五女の7人
夏目漱石の7人の子
1899年 長女・筆子
1901年 次女・恒子
1903年 三女・栄子
1905年 四女・愛子
1907年 長男・純一
1908年 次男・伸六
1910年 五女・雛子
生まれた順に、筆子さんが1899年、恒子さんが1901年、栄子さんが1903年、愛子さんが1905年。ここまでが女の子4人です。
そのあと1907年に長男の純一さん、1908年に次男の伸六さん。最後が1910年生まれの雛子さんでした。
11年のあいだに7人。しかもこの時期は、漱石さんが作家として走り出していた頃と重なります。
妻・鏡子はどんな人?10歳年下で、はっきり言う人
奥さまは鏡子さん。ご結婚は明治29年、1896年のことでした。
新宿区立漱石山房記念館の頁には「10歳年下の妻の鏡子」と書かれています。そしてその性格についても、はっきり書かれていました。
『吾輩ハ猫デアル』の苦沙弥先生の奥さんのように、自分の意見をはっきり主張する方で、ご夫婦はしばしば言い合ったそうです。
ここは、書いてあるとおりに置いておきますね。
漱石自身の子ども時代は「家庭の幸福」と縁遠かった
漱石さんご自身の子ども時代は、かなり複雑です。
生まれてすぐ里子に出され、そのあと養子に出されています。養父母の仲が悪くなって、生家に連れ戻されました。
そのうえ一時は、実の父母を祖父母だと言われて育っています。夏目の姓に戻るときには、生家と養父のあいだでお金のやり取りがあって、その場にも立ち会っていました。
自伝的な小説の『道草』で、大人になった主人公のところへ養父が金銭目的で近づいてくる場面は、実際にあったことがもとになっているそうです。
留学中の手紙に出てくる「筆の日記」
こちらは、記念館の頁でいちばん好きなところです。
漱石さんがイギリスに留学していたあいだ、寂しさからか、奥さまに何度も手紙を催促しました。
ところが鏡子さんは幼い子を抱えていて、そのうえ筆不精でした。なかなか手紙を書きません。
そこで鏡子さんが思いついたのが、2歳の娘の筆子さんの一日の行動を書いた「筆の日記」でした。
最期の場面に、四女の泣き声がある
最期の場面にも、お子さんが出てきます。
漱石さんが亡くなるとき、四女の愛子さんが泣き出しました。鏡子さんがそれを注意したところ、漱石さんが「いいよいいよ、もう泣いてもいいんだよ」となだめた、と伝わっています。
夏目漱石の子孫は現在どうしている?
まとめ
夏目漱石さんのご家族
・お子さんは二男五女の7人
・奥さまは10歳年下の鏡子さん
・漱石自身は里子と養子に出され、実の親を祖父母だと教えられて育った
・留学中の手紙に、2歳の筆子さんの「筆の日記」が出てくる
・最期の場面に、四女・愛子さんの泣き声が残っている
作品からは見えない側が、記念館の頁にはずいぶん書かれていました。ここが、調べていていちばん意外だったところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました♪
出典
- 新宿区立漱石山房記念館「『夏目家の人びと、漱石の家族』見どころ紹介」https://soseki-museum.jp/eng/blog/blog_soseki/6869/(結婚年・10歳年下の鏡子・夫婦の軋轢・里子と養子・「家庭の幸福」・筆の日記)
- Wikipedia「夏目漱石」https://ja.wikipedia.org/wiki/夏目漱石(7人の子の名前と生年・最期の場面)

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