福澤諭吉の子孫は?子供9人の家族構成に経歴と学歴も調査!

一万円札の顔としておなじみの福澤諭吉さん。慶應義塾をつくった人、というところまではご存じの方も多いですよね!

でも「お子さんは何人いたの?」「ご子孫は今どうしているの?」というあたりは、意外と知られていないんです。

調べてみたら、お子さんはなんと9人。しかも次女の嫁ぎ先が、のちに「電力王」と呼ばれる人物でした。

そこで今回は、福澤諭吉さんの子供9人の家族構成と、長男・次男の経歴や学歴について、詳しくお伝えしていきます♪

この記事でわかること
・福澤諭吉の子供は四男五女の9人
・長男の一太郎は慶應義塾の社頭を30年あまり
・次男の捨次郎は時事新報の社長を30年
・次女の房の夫は「電力王」福澤桃介
・ご存命のご子孫について書いていない理由

目次

福澤諭吉の子供は何人?四男五女の9人でした

福澤諭吉さんのお子さんは、四男五女の9人です。

慶應義塾の公式サイトには年譜が載っていて、お子さんが生まれた年と月が、1人ずつ書かれています。9人ぶん全部そろっているのがすごいところです!

1863年10月 長男・一太郎
1865年9月  次男・捨次郎
1868年4月  長女・里
1870年7月  次女・房
1873年8月  三女・俊
1876年3月  四女・滝
1879年3月  五女・光
1881年7月  三男・三八
1883年7月  四男・大四郎

最初の一太郎さんから最後の大四郎さんまで、ちょうど20年。20年のあいだに9人ですから、かなりにぎやかなお家だったはずですよね!

ちなみに長女の里さんが生まれたのは1868年の4月。同じ月に、鉄砲洲から新銭座へ塾を移して「慶應義塾」と名づけています。お子さんの誕生と塾の名づけが同じ月というのは、なんだか出来すぎた話です。

長男・福澤一太郎の経歴と学歴は?慶應義塾の社頭を30年あまり

長男の一太郎さんは、1863年10月生まれ。お仕事は教育者です。

学歴は、まず東京大学予備門に入っています。ところが学風が合わなかったようで、明治15年に退学して慶應義塾へ移ったとされています。弟の捨次郎さんも同じ年に、同じ道をたどりました。

そのあとが大きいところで、1883年6月に弟の捨次郎さんと2人でアメリカへ渡り、1888年11月に帰ってきています。5年あまりの留学でした。

福澤一太郎
1863年10月生まれ/教育者
明治15年 東京大学予備門を退学し慶應義塾へ
1883年6月 弟とアメリカへ留学
1888年11月 帰国
1907年12月 慶應義塾の社頭に就任
大正11年12月〜翌年11月 慶應義塾長を兼任
1938年6月4日 死去(享年74)

そのあとは慶應義塾で教える側に回ります。1907年12月に慶應義塾の社頭となり、亡くなるまで30年あまりその職にあったとされています。

社頭というのは、塾のいちばん上に置かれた役職のことです。30年あまりというのは、ちょっと想像がつかない長さですよね。

次男・福澤捨次郎の経歴と学歴は?時事新報の社長を30年

次男の捨次郎さんは、1865年9月生まれ。お仕事はジャーナリストです。

お兄さんと同じ1883年6月にアメリカへ渡り、マサチューセッツ工科大学で土木工学を修めて帰国したとされています。兄弟そろって理系と文系に分かれたかたちです。

福澤捨次郎
1865年9月生まれ/ジャーナリスト
明治15年 東京大学予備門を退学し慶應義塾へ
1883年6月 兄とアメリカへ留学
マサチューセッツ工科大学で土木工学
1896年1月〜1926年6月 時事新報の社長
1926年11月3日 死去(享年60)

帰国後は1896年1月に時事新報へ社長として入り、1926年6月まで経営を担ったとされています。こちらも30年です。

時事新報は、お父さんの諭吉さんが1882年3月1日に発刊した新聞です。父がつくった新聞を、息子が30年つづけた、というつながりになります。

次女・房の夫は「電力王」福澤桃介

お札の人の娘婿って、どんな方だったの?

木曽川の電源開発に力を注いだ、「電力王」と呼ばれた人です。

次女の房さんは、1870年7月生まれ。この方の夫が、福澤桃介さんです。

桃介さんはもともと岩崎という姓で、埼玉県のご出身。慶應義塾を出たあと、諭吉さんの婿養子として福澤家に入ったとされています。

福澤桃介の肩書き
名古屋電灯の社長大同電力の社長
木曽川の水力開発を主導
衆議院議員を1期
「電気王」「電力王」と呼ばれた

木曽川沿いの南木曽町には、いまも福沢桃介記念館が建っています。建物は大正8年の建築で、大正時代の西洋風別荘建築として残っているものです。

館内には、桃介さんとパートナーの川上貞奴さんの写真や遺品が展示されています。

お札の人の娘婿が、電気のインフラをつくった人。この並びは、言われてみるまで気づかないところですよね!

福澤諭吉の妻は?中津藩士の二女・錦さん

お相手は錦さん。中津藩士の土岐太郎八さんの二女で、ご結婚は1861年の冬でした。

諭吉さんが28歳のとき。この翌月には、ヨーロッパへ派遣される幕府使節の随員になっています。

結婚してすぐ、長い航海に出たことになりますね。

福澤諭吉の子孫は現在どうしている?

ここまで書いてきたのは、すべて亡くなった方のお話です。

いま生きておられるご子孫については、この記事では書いていません。

お名前・お住まい・お勤め先といったことは、ご本人が公にしていないかぎり、こちらで調べて並べるものではないと考えています。ですので「発表が出ていない」というところで止めています。

まとめ

福澤諭吉さんのご家族
・お子さんは四男五女の9人
・長男の一太郎さんは慶應義塾の社頭を30年あまり
・次男の捨次郎さんは時事新報の社長を30年
・次女の房さんの夫は「電力王」福澤桃介さん
・奥さまは中津藩士の二女・錦さん

9人のお子さんの生まれた年月が、いまも公式の年譜に1人ずつ残っているというのが、個人的にはいちばん驚いたところです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪

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